【2024注目の逸材】
まつもと・はじめ松本 一
[東京/6年]船橋フェニックス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、遊撃手
【主な打順】二番、三番
【投打】右投左打
【身長体重】153㎝56㎏
【好きなプロ野球選手】松井稼頭央(元メッツほか/西武監督)
※2024年3月25日現在
関東最強のタレント軍
2024年に入って2冠目となるナガセケンコー杯を制して、松本一は毅然とこのように語った。
「うれしいです。ただ、チームは夏の日本一(全日本学童マクドナルド・トーナメント優勝)しか目指してないし、そこはぜんぜん変わらないです」
ナガセケンコー杯には、大田区のほか都内から58代表がトーナメントに参加。カバラホークス(足立区)との決勝は3月24日にあり、松本は先発して4回途中を無失点、打っては3回に右越えの先制2ランで7対2の勝利に大きく貢献した。
「通算本塁打数? ランニングはホームランと思っていないし、数えてないです。サク越えは去年7月から10本くらいだと思います」
2023年10月22日、新人戦の東京大会を制覇(板橋・城北野球場)
3月2日、京葉首都圏江戸川大会(都内59チーム参加)で優勝した際には、チームの強さについてこう話している。
「自分たちは同学年にはまだ負けたことがないのが強み。先に点を取られたりしても、必ずやり返せます」
そう、船橋フェニックスの新チームは目下のところ、不敗ロードを進んでいる。昨秋の新人戦は世田谷区大会に始まり、東京都大会、そして最上位の関東大会まですべて優勝した(2連覇)。
昨秋の新人戦都大会決勝では先発して5回1安打1失点。打っても三塁打など2安打1打点で逆転勝利に貢献
※関連記事➡こちら新6年生17人のサイズ感とハイパフォーマンスは、「関東」の枠を超えても随一かもしれない。数枚いる投手陣はいずれも本格派。木村剛監督は「誰がエースでもなく、どんぐりの背比べという状態は去年の秋から変わりません」と謙遜する中でも、明らかに勝負眼と度胸に長けているのが右腕の松本だ。
「経験を重ねてきて、今はいつでも緊張とかもせず、投げられてます」
自身の調子に状況や打者も鑑みて、先発なら確実にゲームメイク。救援でも快調にアウトを重ねて、試合の流れを引き寄せていく。
「野球をよく知っている。松本はそこに尽きますね。だから、投げるときも守るときも打つときも、状況が読めるし、子どもながらに応用が利く」と木村監督。自分自身も知り抜いているからこそ、抜群の安定感につながっているのだろう。
毎朝のラントレで鍛えた下半身で大地をつかみ、力強く右腕が振られていく
最速は109㎞。いかにも馬力のありそうな体躯に、真上から投げ下ろすフォームは豪快そのものだ。奪三振率が高いが、マウンドで一人相撲をとることもない。
土台となっているのは制球力。これは、就学前から投げている硬式球で培われた側面もあるのだろう。表面が皮革の硬式球は、縫い目に指をしっかりと掛けて投げないと、なかなか思うように制御できないからだ。
侍入りを期して軟式へ
2つ上の姉に続く長男として生まれた松本は、幼稚園に貼られた案内ポスターが縁で、年少から野球スクールに通い始めた。年長からリトルリーグのチームで硬式野球を始め、小3夏からは同じ硬式のボーイズに移って5年春の全国大会で準優勝。そして5年夏から、軟式の現チームでプレーしているが、現在も自主練習の大半は硬式球を使っているという。
「U12侍ジャパンと、NPBジュニアに入るために、軟式野球に来ました」
「わが家に硬式・軟式で偏見はありません。チーム数が多い軟式で勝ち上がることの難しさ、また上にくるほどに選手とレベルの高さを感じています」(母・咲子さん)
少し補足をしておこう。小6以下のU12侍ジャパンは、硬式と軟式が隔年でチームを結成しており、2024年度は軟式の番。年末のNPB12球団ジュニアトーナメントは、1球団16人のメンバー選考に軟式・硬式の制約はないが、大会は軟式球で行われている。
また、勝手な憶測もあるようなので付記しておきたい。松本はどこの誰からも何の勧誘も受けておらず、「家族の一致団結」(母・咲子さん)で夢を追うために自ら軟式チームに移籍した。これが事実だ。
松本のウイークデーは、朝6時過ぎからのラントレから始まる。闇雲に距離を走るのではなく、元球児の父と練り上げた超短距離走中心のメニューをルーティンでこなす。そして朝食と身支度を済ませたらバットを握り、登校の時刻まで母が投げるシャトルを打ち続ける。
学校から帰宅すると、捕食を摂ってから、まずは90分ほど練習。「お母さんが昔はテニスをやっていたので、ボールの速さに対する感覚だけはあるみたいです。キャッチボールの相手もしてくれるし、ノックも打ってくれます」
速球は110㎞に迫る。そのベースは小1秋からの母とのキャッチボールで築かれている
今では専用の硬式用マイミットとマイノックバットを使いこなす母によると、放課後の自主練は二部制だという。「まずは私が一部をサポート。硬式球にも恐怖心はないんですけど、足先でも当たるとめっちゃ痛い! 野球はぜんぜんわからなかったのに、息子のおかげで野球ファンになりました」
二部は職場から帰宅した父がパートナーに。ピッチングやティー打撃など、硬式球を使いながらスキルアップに励む。これらの特訓場所は、埼玉の自宅の目の前にあって学区外の小学校の敷地。もちろん、毎月の申請を経て許可も得ている。
「がんばる近所の子を応援してくれる。非常に理解のある学校と、校長先生に感謝が尽きません」(母・咲子さん)。風雨の日は屋根付きの場所で、別メニューをこなしているという。
「自分は休みたくないタイプなんです。やらないと不安になるというか…」
こう語る松本本人の強い意志から、自主練の日々もスタートしたという。小1の10月だった。両親が共働きで、放課後は学童保育に預けられてきた松本が「野球の練習ができないから、学童保育をやめたい!」と哀願。すると、母はその日のうちに退会手続きを済ませ、翌日から息子と白球を追うように。そして気付けば、もう4年が過ぎている。
バットの先端を走らせた後の大きなフォロースルーも特長。空を切ってもまた絵になるほどの迫力
投打のダイナミックな動きも、地に足をつけての積み上げがあればこそ。メジャーリーガーの動作を小手先でコピーしたわけではない。松本の憧れは、三拍子がそろった往年の名遊撃手で、日本人野手として初めてMLBでプレーした松井稼頭央(現・西武監督)だ。
「松井監督の現役中のプレー動画をいろいろ見て、ヤバいなと思いました。打てるし、走れるし、守れるし、足も速いし…」
松本が投打で終始せず、遊撃守備にもこだわり、脚力の鍛錬も怠らないのは、そのあたりにも理由があるようだ。
安定感は遊撃守備でも不変。内外野への適切な声掛けも光る
幼少期から躾には厳しかったという母にあるのは、無私の愛ばかり。息子への期待や未来を問うても、本人の重荷や足かせになりそうな言葉を決して口にしなかった。
「持ち前の明るさとみんなを引き上げる部分を野球で思い切り生かして、自分の活躍とチームの底上げにつなげてもらえたら。野球は日常生活がホントに出るスポーツだなと感じています。プレーでもプレー以外でも、みんなを引っ張る選手になっていってほしいです」(咲子さん)
さて、フェニックスの全勝記録はどこまで続くのか。夏の全国出場と、日本一はなるのか。松本は侍戦士やNPBジュニア入りを果たせるのか――。約束された人の未来になど、誰も見向きをしない。逆にどんなに注目されようとも、スポーツの結果は覆らない。
それらの結果がどうあれ、松本がブレることはないだろう。遥かに遠くて大きい夢を本気で目指してきているからだ。
「将来は日本のプロ野球で活躍してからメジャーリーグに行って、活躍しておカネを稼ぎたいです」
手厚く支えてくれている家族への直接の恩返しは目下のところ、朝のゴミ捨てだという。
(動画&写真&文=大久保克哉)